花見とは

花見の歴史

花見の起源は、奈良時代の貴族が行った行事だったと言われています。貴族たちは、この時期、中国から伝わった梅を鑑賞していました。そして、これが今は桜をめでる行事となったわけですが、梅から桜へと切り替わったのは平安時代ということです。これは、歴史的な文化物からも窺い知ることができ、7世紀後半~8世紀後半にかけて書かれたとされる万葉集では、桜を詠んだ歌が約40首くらい、梅を詠んだ歌が約100首くらいですが、平安時代初期に書かれたとされる古今和歌集では、この数が逆転しているのです。

このほか、さまざまな文献でもよく、花すなわち桜についての作品が見られることが多く、当時の人にとっても、重要な行事であり、楽しみであったことは間違いないでしょう。さらに831年、花見というものは、天皇主催の定例行事として宮中でも取り入れられるようになりました。

このように、多くの偉大な人物が受け継いできた花見という文化ですが、何も貴族だけの遊びではなく、武将であった、源頼朝、足利氏、豊臣秀吉なども花見を開いていたようです。中でも、さまざまな部分で派手さ、盛大さを好んだ豊臣秀吉が行った、吉野や醍醐寺の花見は、たいへん大がかりで長く言い伝えられています。

一方で、一般庶民にとっても花見は大切な1つの行事であり、古代の農村では春の春の訪れを感じるための意味合いはもちろん、農耕を開始ずる時期を計るうえで、重要な役割を果たしていました。加えて、その年の稲作の出来栄えを花の散り方で占うといったほど、日本人の暮らしの中に根付いたものだったようです。